身延山久遠寺の西谷は、日蓮聖人が晩年を過ごした「御草庵跡」や、その遺言により建てられた「御廟所」がある、身延山の中で最も神聖な聖域とされるエリアである。この地には、祈りとともに積み重ねられてきた長い時間が息づき、静謐な空気とともに訪れる者の足取りを自然とゆるやかにさせる。
春、その西谷をやわらかく包み込むのがしだれ桜だ。枝を天へと伸ばすのではなく、大地へと垂らすその姿は、どこか謙虚で、祈りの場にふさわしい佇まいを見せる。幾筋にも分かれた枝に咲く淡紅の花は、光や空気のわずかな変化を受けて表情を変え、見る者の心に静かな余韻を残す。過去撮影の写真であるが、以下に再現像した2枚を掲載した。
一枚目は、早朝の「ブルーアワー(ブルーモーメント)」と呼ばれる魔法の時間帯に撮影したもの。背後の山は淡く沈み、光が届く前の静寂があたりを満たしている。その中で枝垂れ桜は、色を主張することなく、空気と溶け合うように佇む。花の輪郭はやわらかく、まるで目覚める直前の夢のような、はかない美しさを宿していた。
二枚目は、やがて山の稜線に朝日が差し込み、背後の景色が明るさを帯び始めた頃の一枚である。光を受けた山肌が輪郭を現し、それに呼応するように桜の花もまた、淡い色を次第に深めていく。先ほどまで静かに沈んでいた花々は、光の中で生命感を帯び、同じ一本でありながら、まったく異なる表情を見せる。
しだれ桜の魅力は、その形の美しさだけではない。時間の移ろいを受け止め、その一瞬ごとに姿を変えていくところにある。とりわけ身延山久遠寺の西谷のような静寂の場においては、その変化はより繊細に、より深く感じられる。
身延山久遠寺 西谷のしだれ桜は、見る者に何かを強く訴えかけるわけではない。ただ、そこに在り、時とともに移ろいながら、心の奥にそっと触れてくる。その控えめで奥深い美しさこそが、この場所ならではの魅力なのだろう。
*以下の掲載写真は、クリックしますと別窓で拡大表示されます。

身延山久遠寺 西谷のしだれ桜(岸之坊)
Canon EOS 5D Mark Ⅱ / TAMRON SP AF70-200mm F/2.8 Di LD (IF) MACRO / 絞り優先AE F8.0 30秒 ISO-100
(撮影地:山梨県身延町 2011.4.2 5:20)

身延山久遠寺 西谷のしだれ桜(岸之坊)
Canon EOS 5D Mark Ⅱ / TAMRON SP AF70-200mm F/2.8 Di LD (IF) MACRO / 絞り優先AE F3.2 1/8秒 ISO-50 +0.3EV
(撮影地:山梨県身延町 2011.4.2 6:18)
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